日米会話学院 [英語全般]

3月中旬に来た休刊案内の後は暫く読んでいなかった株式会社スリーエーネットワーク編集部発行

「極めろ!」メルマガ ~イクフン先生からのおくりもの~

ですが、3末に復刊したようで専用のフォルダーに4通の未読メールがありました。

そこで、恒例の日本未公開模試PART5問題も含めて読んでいったのですが、先週号(4/13付け)によると、イクフン本が日米会話学院のテキストとして採用されたそうです。

解説が詳しすぎてテキストになるのかと大きくお世話な気持ちもしますが、我々イクフン本でのTOEIC学習者にとっては仲間が増えるのは良いことです。

ところで、その日米会話学院ですが、私が小学生の頃に、父の同僚の方が海外赴任に伴い語学研修を受講された英語専門学校として知りました。

本当かどうかは分りませんが、当時は四谷の教室に缶詰特訓でシゴかれるとかの話があって、家のお父さんは国内で助かったねェーと言っていました。

また、最近はどうなのか分りませんが、夏休み中に語学が得意な人が行く講習会は、英語なら日米会話学院、仏語ならアテネ・フランセor日仏学院と決まっていたことも覚えています。

日米会話学院は、1945年8月の終戦の直後の

1945年9月 創立者、武藤富男先生が外務省終戦連絡事務局その他からの依頼により、日米会話学院の設立を決め、その準備を丸ノ内の内外ビルで開始。

だそうですが、その頃はまだ生きることに精一杯であった筈にも関わらず、

1945年10月 各新聞に学院創設、生徒募集記事掲載、約3,000人の応募者が殺到。

したことに驚きます。加えて、

1945年11月 日米会話学院 開校。武藤富男学院長就任。第1期第一部授業を浅草橋の日本橋高女(現日本橋女学館)で開始。

の当時は、テキストを作る紙すらも十分でなかったでしょうし、PC/CDはおろかテープレコーダーさえこの世に存在しない時代なのに、どんな風にして勉強をしていたのかとも思います。

でもそういう時代に懸命に英語を学んだ(人も含む多くの)方々が戦後の日本を創って下さったわけで、それからすると、今はシッカリ勉強できて当たり前なのだと改めて思いました。


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